モーツァルト – 歌曲 すみれ K.476

【スプートニクの恋人】の中のモーツァルト

名前を選んだのは、
父親の話によれば、
亡くなった母親だった。
彼女は「すみれ」というモーツァルトの歌曲が大好きで、
自分に娘ができたらその名前をつけようと前から決めていたのだ。
居間のレコード棚には『モーツァルト歌曲集』があり
(母親が聴いていたものにちがいない)、
子供時代のすみれはその重いLPを大事にターン・テーブルにのせて、
「すみれ」という題の歌曲を繰り返し聴いたものだった。
エリザベート・シュヴァルツコップフの歌と、
ヴァルター・ギーゼキングのピアノ伴奏。

スプートニクの恋人

曲のタイトルは、
すみれ。

エリザベート・シュヴァルツコップフの歌、
ヴァルター・ギーゼキングのピアノ伴奏。

いつになく、
具体的だ。

曲のタイトルと演奏者が明確なモーツァルトは、
これまでのところロベール・カサドシュ指揮の二十三番と二十四番のピアノコンチェルトくらいか。

子供時代のすみれが大事にターン・テーブルにのせた重いLPは、
きっと1956年のMozart–Elisabeth Schwarzkopf, Walter Gieseking–A Mozart Song Recitalだろう。

中学生の時にすみれは歌詞の日本語訳を見つけて、
想像していた歌の内容とは違いショックを受ける。

そこには救いがなく、
教訓すらないと感じる。

でもまあ名前を付けるにあたっては、
もっと深い意味があったのかもしれない。

歌曲 すみれ K.476

詩は、
ゲーテ。

1773-4年のジングシュピール『Erwin und Elmire(エルヴィーンとエルミーレ)』、
その中の一節だ。

エルミーレを愛したエルヴィーン、
謙虚な心から敢えてエルミーレのもとを去ってしまう。

ただその際に一片の詩、
『すみれ』を残していった。

それを読んだエルミーレは、
彼の本当の気持ちに気付き旅に出る。

やがて彼と再会し、
結ばれることになる。

歌詞は、
こうだ。

Ein Veilchen auf der Wiese stand,
gebückt in sich und unbekannt;
es war ein herzigs Veilchen.
Da kam ein’ junge Schäferin
mit leichtem Schritt und munterm Sinn
daher, daher,
die Wiese her und sang.

Ach! denkt das Veilchen, wär’ ich nur
die schönste Blume der Natur,
ach, nur ein kleines Weilchen,
bis mich das Liebchen abgepflückt
und an dem Busen matt gedrückt,
ach, nur, ach nur
ein Viertelstündchen lang!

Ach, aber ach! Das Mädchen kam
und nicht in acht das Veilchen nahm,
ertrat das arme Veilchen.
Es sank und starb, und freut’ sich noch:
und sterb’ ich denn, so sterb’ ich doch
durch sie, durch sie,
zu ihren Füßen doch!

J.W.Goethe-Das Veilchen

一本のすみれが牧場に咲いていた
ひっそりとうずくまり人知れず
それは本当にかわいいすみれだった
そこへ若い羊飼いの少女がやって来た
軽やかな足どりで晴れやかな心で
こっちの方へ近づいてくる
牧場の中を歌をうたいながら

ああとすみれは思った
もしも自分がこの世で一番きれいな花だったらと
ああほんのちょっとの間だけでも
あの少女に摘みとられて
胸におしあてられてやがてしぼむ
ああほんの十五分間だけでも

ああそれなのに!
少女はやってきたがそのすみれには眼もくれず
あわれなすみれを踏みつけてしまった!
すみれはつぶれ息絶えたがそれでも嬉しがっていた
ともあれ自分はあの少女のせいで
あの少女に踏まれて死ぬんだからと!

モーツァルトは、
このゲーテの詩に2行付け加えている。

Das arme Veilchen! かわいそうなすみれよ!
Es war ein herzig’s Veilchen. それは本当にかわいいすみれだった。

エリザベート・シュヴァルツコップフ/ヴァルター・ギーゼキング

では、
もちろんエリザベート・シュヴァルツコップフの歌とヴァルター・ギーゼキングのピアノ伴奏で。

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