短い文章に4回も出てくるグレン・グールド
「います」という札がかかっている時、
―村上春樹-シドニーのグリーン・ストリート 5
僕はだいたい事務所のビニールのソファに座って
ビールを飲みながらグレン・グールドのレコードを聴いている。
僕はグレン・グールドのピアノが大好きだ。
グレン・グールドのレコードだけで三十八枚も持っている。
僕は朝いちばん、
オート・チェンジのプレーヤーにレコードを六枚ばかり載せ、
えんえんとグレン・グールドを聴く。
そしてビールを飲む。
ボクにとっては、
ビールを飲みながらえんえんとグレン・グールドを聴くのはちょっと無理な話だ。
もちろんグレン・グールドをえんえんと聴くのが無理なのではなくて、
えんえんとビールを飲むのが無理なだけだ。
ビールは最初だけでその後に他のお酒に替えてしまえば、
もちろんグレン・グールドがえんえんと流れているのは全然OK。
ゴルトベルク変奏曲
さてこの物語の『僕』は、
グレン・グールドのレコードだけで三十八枚も持っている。
残念ながらボクは、
そんなにたくさんのグレン・ グールドのレコードは持っていない。
そもそも今の家にはレコードは1枚も置いてなくて、
すべては近くにある実家に置いてある。
さて、
彼のグールドの三十八枚ものレコード・コレクションの中には、
バッハの『ゴルトベルク変奏曲』が間違いなく入っているだろう。
全4巻からなる『クラヴィーア練習曲集』の第4巻、
『2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏』。
『ゴルトベルク』はヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクのことで、
この曲の初演者と言われていてその名が冠せられている。
頻繁に聴くかどうか?は別にしても、
デビューの1956年盤と晩年の1981年盤の2枚は確実に持っているだろう。
四半世紀を隔てたこの2枚は、
同じ人間が同じ曲を弾いているとは思えないくらい全くその演奏が違っている。
例えばわかり易いのは演奏時間で、
1956年盤は38分ほどだが1981年盤は51分と四半世紀ほどではないがかなり異なる。
ただどちらにしても、
その演奏が素晴らしいことだけは誰かが口をはさむ余地はない。
時間の違いほどには、
その素晴らしさには差がないはずだ。
もし時間がある方が居たら、
是非ともこの2つの演奏を聴き比べてほしいなと思う。
Glenn Gould – Goldberg-Variationen
もし聴き比べてみて下さった方がいらっしゃったら、
きっと81年盤の方が好きという人の方が多い気がする。
どちらが良いか?はきっと聴く年齢にもよるかもしれないし、
その時の気分によっても随分と違うかもしれない。
まあいずれにしても、
こうやって聴き比べられる演奏を残してくれただけでもありがたい話なのだ。
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