一九六〇年、ボビー・ヴィーが「ラバー・ボール」を唄った年だ。
家の設計者でもあった最初の住人は年老いた洋画家だったが、
―村上春樹,1973年のピンボール
彼は直子が越して来る前の冬、
肺炎をこじらせて死んだ。
一九六〇年、
ボビー・ヴィーが「ラバー・ボール」を唄った年だ。
朝鮮戦争の頃に建てられた洋館づくりの二階家、
『直子』が1961年に越してきた家だ。
朝鮮戦争が始まったのは1950年のことだから、
直子が越してきた当時はまだ築10年余りの頃だ。
洋画家は、
10年の間そこに住んで肺炎をこじらせ亡くなっている。
そして、
その翌年に直子がここに越してきたわけだ。
ここで、
井戸掘り職人のことが出てくる。
その職人は、
直子が十七歳になった秋に電車に轢かれて死んでしまう。
Bobby Vee – Rubber Ball
ここに出てくるボビー・ヴィーの『Rubber Ball』は、
1960年のシングルのA面。
1961年の1月には、
全米6位となっている。
日本でのリリースはもう少しあとの1962年のことだけど、
ボビー・ヴィーが『ラバー・ボール』を唄った年は確かに1960年だ。
この曲は、
ジーン・ピットニーとアーロン・シュローダーが共作したもの。
ライターのクレジットは、
Aaron SchroederとAnne Orlowskiとなっている。
このAnne Orlowskiは、
ジーン・ピットニーの母親の旧姓を使ったもの。
Rubber ball, I come bouncin’ back to you…
―Aaron Schroeder, Anne Orlowski – Rubber Ball
ラバー・ボール ボクはキミのもとへ弾んで戻ってくるよ…
ちなみにこのシングルのB面は、
バディ・ホリーとノーマン・ペティによる『Everyday』のカバー。
オリジナルはもちろんバディ・ホリー、
1957年リリースの曲。
音楽が死んだ日
そのバディ・ホリーは、
1952年2月3日にリッチー・ヴァレンスとJ.P.”ビッグ・ボッパー” リチャードソンと共に飛行機事故で亡くなる。
いわゆる、
あの『The Day the Music Died(音楽が死んだ日)』。
ドン・マクリーンがこの悲劇を題材にした1971年の『American Pie』で唄って、
この言葉が定着したもの。
この悲劇をきっかけに成功したのが、
ボビー・ヴィー。
本来亡くなった彼らが出演するはずだったミネソタ州ムアヘッドのライヴで、
ザ・シャドウズとして出演。
その後、
バディ・ホリーの『Peggy Sue』に応答した『Suzie Baby』でレコード・デビュー。
そこから、
ボビー・ヴィーの成功物語が始まるのは何とも言えない。
1960年
カメルーンのフランスからの独立に始まり、
アフリカの多数が独立を達成した年であることに因んで『アフリカの年』と呼ばれる1960年。
前回の『リッキー・ネルソンが「ハロー・メリー・ルウ」を唄った年』である1961年に続いて、
1960年は『ボビー・ヴィーが「ラバー・ボール」を唄った年』だ。
この1960年も、
この曲が圧倒的にヒットしたわけではない。
1960年、
Billboard Year-End Hot 100にも入っていない。
それでも、
ナゼか『ボビー・ヴィーが「ラバー・ボール」を唄った年』なのだ。
ちなみに、
前回同様に1960年のBillboard Year-End Hot 100の1位から10位はこんな感じだ。
No.01 Percy Faith – Theme from A Summer Place
No.02 Jim Reeves – He’ll Have to Go
No.03 The Everly Brothers – Cathy’s Clow
No.04 Johnny Preston – Running Bear
No.05 Mark Dinning – Teen Angel
No.06 Brenda Lee – I’m Sorry
No.07 Elvis Presley – It’s Now or Never
No.08 Jimmy Jones – Handy Man
No.09 Elvis Presley – Stuck on You
No.10 Chubby Checker – The Twist
この年Billboard Year-End Hot 100に、
最多の4曲を送り込んだのは4組。
1組目は、
ボビー・ライデル。
No.12 Wild One
No.54 Volare
No.74 Swingin’ School
No.96 Little Bitty Girl
2組目は、
ブレンダ・リー。
No.06 I’m Sorry
No.18 Sweet Nothin’s
No.43 I Want to Be Wanted
No.71 That’s All You Gotta Do
3組目は、
コニー・フランシス。
No.11 Everybody’s Somebody’s Fool
No.17 My Heart Has a Mind of Its Own
No.68 Mama
No.73 Among My Souvenirs
4組目は、
エヴァリー・ブラザース。
No.03 Cathy’s Clow
No.30 Let It Be Me
No.70 So Sad
No.91 When Will I Be Loved
という感じだけど、
それでも『ボビー・ヴィーが「ラバー・ボール」を唄った年』なのだ。
音楽が死んだ日を機に世に出たボビー・ヴィー、
その彼が国際的なスターの座に上り詰めたのがこの曲だ。
なぜこの曲なのか?
は考えればいろいろと思ったりするけど結局は謎なのだ。
ボビー・ヴィー – ラバー・ボール 関連 Play List
01 ボビー・ヴィー – ラバー・ボール
02 ボビー・ヴィー – エブリディ
03 バディ・ホリー – エブリディ
04 ドン・マクリーン – アメリカン・パイ
05 バディ・ホリー – ペギー・ス―
06 ボビー・ヴィー – スージー・ベイビー
07 パーシー・フェイス・オーケストラ – ザ・テーマ・フロム・ア・サマー・プレイス
08 ジム・リーブス – ヒール・ハフ・トゥ・ゴー
09 ザ・エヴァリー・ブラザース – キャシーズ・クロウ
10 ジョニー・プレストン – ランニング・ベア
11 マーク・ダイニング – ティーン・エンジェル
12 ブレンダ・リー – アイム・ソーリー
13 エルヴィス・プレスリー – イッツ・ナウ・アンド・ネヴァー
14 ジミー・ジョーンズ – ハンディ―・マン
15 エルヴィス・プレスリー – スタック・オン・ミー
16 チャビー・チェッカー – ザ・ツイスト
17 ボビー・ライデル – ワイルド・ワン
18 ボビー・ライデル – ヴォラーレ
19 ボビー・ライデル – スゥインギン・スクール
20 ボビー・ライデル – リトル・ビティ・ガール
21 ブレンダ・リー – スゥイート・ナッシンズ
22 ブレンダ・リー – アイ・ワント・トゥ・ビー・ワンテッド
23 ブレンダ・リー – ザッツ・オール・ユー・ガッタ・ドゥー
24 コニー・フランシス – エブリバディズ・サムバディズ・フール
25 コニー・フランシス – マイ・ハート・ハズ・ア・マインド・オブ・イッツ・オウン
26 コニー・フランシス – アマング・マイ・スーベニアズ
27 エヴァリー・ブラザース – ソー・サッド(トゥ・ワッチ・グッド・ラブ・ゴー・バッド)
28 エヴァリー・ブラザース – ホエン・ウィル・アイ・ビー・ラブド
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