ファルセット・ボイスの甘いソウル・バラード

Falsetto Voice Sweet Soul Ballad

ファルセット・ボイスの甘いソウル・バラードだった。

ジューク・ボックスは最後のレコードを流し始める。
ファルセット・ボイスの甘いソウル・バラードだった。

―村上春樹,1973年のピンボール

閉店後のジェイズ・バーで、
鼠とジェイが会話をするここのシーンはこの物語の中でもとても印象に残るものだ。

特に印象に残る1つが、
ジェイの猫の手が潰された話。

「そうさ、
 猫の手を潰す必要なんて何処にもない。
 とてもおとなしい猫だし、
 悪いことなんか何もしやしないんだ。
 それに猫の手を潰したからって誰が得するわけでもない。
 無意味だし、
 ひどすぎる。
 でもね、
 世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ。
 あたしにも理解できない、
 あんたにも理解できない。
 でもそれは確かに存在しているんだ。
 取り囲まれているって言ったっていいかもしれないね。」

―村上春樹,1973年のピンボール

世の中には理解不能な悪意が山とあって、
それは確かに存在している。

取り囲まれている、
って言ってもいいかもしれない。

これは意味不明の理解不能の邪悪なものが、
村上作品に出てきた最初じゃあないだろうか?

目には見えない邪悪なものに取り囲まれている世の中、
ちょっとというかかなり嫌だけど。

でも、
実際そうなんだろう。

でも見えないまま過ごせる人間もいれば、
酷い目に遭う人間もいる。

感じるか、
感じないかなのかもしれない。

ただ1つだけ言えるのは邪悪なものを感じたり見えたりするってことは、
その感じてしまったり見えてしまったことで何かしら酷いことになる可能性があるということだ。

もう1つは、
コレ。

鼠はグラスを眺めたまま言った。
「俺は二十五年生きてきて、
 何ひとつ身につけなかったような気がするんだ。」
ジェイはしばらく何も言わずに、
自分の指先を見ていた。
それから少し肩をすぼめた。
「あたしは四十五年かけてひとつのことしかわからなかったよ。
 こういうことさ。
 人はどんなことからでも努力さえすれば何かを学べるってね。
 どんな月並みで平凡なことからでも必ず何かを学べる。
 どんな髭剃りにも哲学はあるってね。
 どこかで読んだよ。
 実際、
 そうしなければ誰も生き残ってなんかいけないのさ。」
鼠は肯き、
三センチばかりグラスの底に残っているビールを飲み干した。
レコードが終り、
ジューク・ボックスがカタンと音をたてて、
そして店が静まり返る。
「あんたの言うことはわかりそうな気がするよ。」
でもね、
と言いかけて鼠は言葉を飲みこんだ。

―村上春樹,1973年のピンボール

どんな月並みで平凡なことからでも努力さえすれば必ず何かを学ぼうと思えば学べるし、
そうすることで生き残ることができる。

でもね、
と言葉を飲みこむ鼠。

確かに、
学ぶことで生き残ることはできるかもしれない。

でもね、
ある種の学びは却って死に近づくことになるかもしれないぜ。

でもね、
学べば学ぶほど生き残る理由がなくなっていくんだ。

でもね、
生き残るために学んだところで遅かれ早かれ皆死んじまうのさ。

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1973年、
鼠は25歳でジェイは45歳。

ジェイが今も生きていたら、
96歳。

この時の猫はとっくの昔に土に還っているだろうけど、
もしかするとジェイはまだ引退せずにバーをやっている…ってことはないか。

スウィート・ソウル

ところで70年代以降のヴォーカル・グループが甘い声で歌うバラードで、
しかもファルセットが多用されたものを『スウィート・ソウル』と呼ぶのは日本独自のものらしい。

スウィート・ソウルの代表格と言えば、
デルフォニックスとかスタイリスティックスあたりなのかな?

彼女のことを想って選んだと思われる5曲、
その最後を締めくくるに相応しい曲はなんだろうね。

しかもジューク・ボックスにあるレコードなんだから、
マイナーなものではダメだろうし。

The Stylistics – You Are Everything

例えばスタイリスティックス、
1971年のシングル『You Are Everything / Country Living』のA面なんてどうだろう?

リンダクリードと、
トム・ベルのチームが書いた曲だ。

How can I forget
When each face that I see
Brings back memories of being with you?
Oh, darling, I just can’t go on
Living life as I do
Comparing each girl with you
Knowing they just won’t do
They’re not you …

―村上春樹,1973年のピンボール

どうやったら忘れられるんだろう
目にするすべての人々の顔が
キミと一緒だった想い出を呼び覚ますのに
ああ ダーリン もう続けられないよ
今のような生活は
全ての女性をキミと比べてしまうのさ
彼女たちじゃあダメだってわかっているのに
彼女たちはキミじゃあないんだ…

忘れる必要もないし比較する必要もないし、
いろいろなことを認めてしまえば前に進めたりするんだけどなかなかそうはいかないものなのだ。

Falsetto Voice Sweet Soul Ballad 関連 Play List

01 The Stylistics – You Are Everything
02 The Stylistics – Country Living

【1973年のピンボール】で流れる他の音たちはこちら!

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