艶歌

カー・ラジオは古い艶歌をがなり立てていた。

カー・ラジオは古い艶歌をがなり立てていた。

車内の空気はヒーターと煙草でムッとして、
カー・ラジオは古い艶歌をがなり立てていた。
はね上げ式の方向指示器くらい古くさい歌だった。
葉を落とした雑木林はまるで海底のサンゴのように道の両脇に湿った枝を広げていた。

―村上春樹,1973年のピンボール

古い艶歌、
演歌じゃあなくて艶歌。

はね上げ式の方向指示器くらい古くさい歌、
どんな曲だろう?

1970年時点の話だから、
1960年代かもっと古いのかもしれない。

はね上げ式の方向指示器

はね上げ式の方向指示器は、
要するにウィンカーのこと。

1893年にイギリスのJ・B・フリーマンによって、
文字盤式の方向指示器が発明されたのが最初。

車体後部に表示内容を変更できるロール式の掲示板を設置、
手動操作によってleft・rightの文字が表示できるようにしたものだ。

1900年代初頭にイギリスのF・フォークナーによって、
ボディサイドに装備する矢羽式の方向指示器が発明される。

1908年にイタリアのアルフレード・バラッキーニが、
アームの中に電球を入れたものを発表している。

日本では昭和30年代初期、
アポロ工業の外付け型矢羽式方向指示器が汎用品として市場をほぼ独占。

アポロ製品が矢羽式方向指示器の代名詞となって、
車体内蔵式を含む矢羽式方向指示器の全てがアポロと呼ばれるほど一般的な存在になる。

艶歌

そんな矢羽式方向指示器くらい古くさい艶歌は、
1960年前後にそのジャンルが生まれたようだ。

そして、
1966年に五木寛之が『艶歌』という小説を出す。

音楽ディレクター、
馬淵玄三をモデルにしたものだ。

明治時代の自由民権運動において、
政府批判を歌に託した演説歌の略に始まった演歌。

その演歌が芸能化して、
艶歌となったことを肯定的に捉えている。

演歌は艶歌に転ずることで庶民の口に出せない怨念悲傷を、
艶なる詩曲に転じて歌う『怨歌』になったのだと。

いずれにしても艶歌というジャンルが生まれた頃はまだ生まれていないし、
その頃の曲が知らないうちに流れていることなんて今では殆どない。

その上それを聴こうと全く思わないんだから、
ここで流れる艶歌がどんな曲なのか?なんてわかるわけがない。

まあがなり立てていたというんだから、
男性歌手なんだろう。

がなり立てていた、
といわれれもなあ。

【1973年のピンボール】で流れる他の音たちはこちら!


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